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ボランティアや寄付は偽善なの!?

人生のアウトプット

災害が発生する度にボランティア活動や寄付といった行動をとる人が近年増えたように思います。一方でこういった行動に対し批判的な声も良く聞くようになりました。 

私は過去に、知人から「それって偽善でしょ?」とか「意識高いね?」と言われて偽善について考えてみる事にしました。 

皆様は「偽善」についてどのように思いますか? 

偽善の定義 

「偽善」という言葉は、調べてみると「本心からでなく、うわべをつくろってする善行」と書かれています。 

あなたは、次のうち、どの行為が偽善だと思いますか? 

Aさんは、次の市議会議員選挙へ出馬する予定。議員になり土木予算を増やし自身が経営する会社の仕事を増やして儲けるのが狙い。 

だから、好感度アップの為、暇を見つけては電車に乗り、お年寄りがいるとおおげさに席を譲る。 

Bさんは、いつも良いことをするように心がけている。なんの下心もなく電車でお年寄りに席を譲った。 

Cさんは、仕事でクタクタに疲れていて、本当は座っていたかったけど、周囲の目を気にして、電車でお年寄りに席を譲った。 

Aは偽善者。Bは善人。Cは回りの目を気にして行動を変える人だから偽善者か、それとも疲れているのに席を譲った善人か・・・。 

では、次の場合はどうでしょうか? 

Dさんは、お年寄りに席を譲る気持ちはあったのだが恥ずかしくて声をかけられず寝たふりをした。 

Eさんは、お年寄りに親切にする気がそもそもなく、他人の視線も気にならないのでスマホでゲームをしていた。 

Dは善人、Eは悪人でしょうか・・・? 

A、B、Cそれぞれ裏の事情は誰もわかりませんので3人共良い人だと評価するのではないでしょうか。 

どの方も席を譲った事実があり、誰かを救っています。 

一方でD、Eは行動しなかった。たとえ善人であっても誰も救っていないのです。 

ボランティアや寄付は偽善なの!? 

被災地にボランティアに行ったのに迷惑かけたり、傷をおわせるような行為を行なってしまう者もいます。 

自分では助ける気持ちはあったとしても、結果的に迷惑をかけたり傷をおわせてしまったのであれば独善につながってしまうものではないでしょうか。 

人の気持ちに深く寄り添う力が必要ですね。 

また、高額寄付をする有名人に対して「売名行為」などと批判の声もありますが、地方新聞では寄付をした人を実名で掲載する事はまだまだ見受けられます。 

地方に住んでいる人の観点では批判するような事ではないのかもしれませんし、現実にお金は必要であり、それを素早く寄付できるのは個人の強み。 

有名人が寄付を公開する事で、個人へ情報が広まるのであれば、意味のある事のように思います。 

しかしながら、日本では昔から良い事をし、名前を問われた際に「名乗る程のもんじゃねぇ」って類いの事を「粋」とされているのも事実であり、2010年頃、タイガーマスクや伊達直人の名前でランドセルや学用品を児童養護施設などに寄贈する事が日本全国でおこり、感動した人も多かったはずです。 

匿名での寄付は、なにか強く心に訴えかけるものがあるように思います。 

偽善の見返り 

私は行動をおこす時、下心が全くない訳ではありません。 

トイレ掃除を行うと金運があがるといわれているから続けている。 

誰かにやさしくしたら、まわり回って自分に帰ってくる。 

ゴミを拾った分だけチャンスをつかむ。 

などなど、あげればキリがないですが、それらも全て認めて、偽善者ですと開き直って、行動する方が面白いと私は思います。 

特に誰の迷惑にもなってなく、世の中が良くなると思うなら絶対にやるべきです。 

自分の行動に自信を持てない時って人間は弱いのです。 

だから、自信を持ち、「やらない善より、やる偽善」と割り切り、とにかく行動する事にしました。 

さいごに 

色々書きましたが、答えはまだ『わかりません』でした。 

募金しない人に、「なんで募金しないの?」とか、強制的に「募金しろ!」とか、『ボランティア自慢』とかは、少し違うと思います。 

また、無理してやる必要はないけど、やりたいのに人の目や言葉を気にしてやらないのも違う。 

私は、自分が良いと感じるものについては、続けていこうとポジティブに考えられるようになりました。 

より良い世界になるように行動していきたいですね。 

でわでわ! 

参考文献 

偽善のすすめ: 10代からの倫理学講座 (14歳の世渡り術)

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